このブログの中の人のプロフィール
こんにちは、のぶです。
今現在2020年7月25日。
私の39歳の誕生日。
思い立ってこのブログを立ち上げることにした。
ブログ自体の名前にある通り、精神保健福祉士として働いているピアスタッフだ。
39歳。妻と3人の男の子の5人家族。福岡県在住。現在福岡の相談支援事業所で相談支援専門員として働いている。
このブログを立ち上げるにあたって、先ずは私が何者かを書いておいたほうがいいと思って自己紹介を。
普通に自己紹介しても面白くないので、精神保健福祉士らしく、成育歴風にまとめようと思う。
成育歴① ~生後から発病まで~
成育歴と言って生後から発病までってザックリ過ぎだろうというツッコミが聞こえるが(被害妄想?)、始める。
福岡県の田舎町に生まれて、約3800gで生まれる。小さいころからお調子者だったが、ずっと自分に自信が持てない感覚を持っていた。吃音もあり、いじめられたりもして、今思うと自己肯定感の低かったんだろう。
高校は地元の進学校、大学は地方国立大と進み、大学に入って初めて彼女ができて、いわゆる大学デビューという感じだった。
大学3年の春休み、周りは就職活動の時期にもなって自己分析を始め、吃音でも就職先があるのかなどと考えているうちに、「何かに追われている感覚」に襲われた。
そんな中その彼女が就職で地元の鹿児島に帰ることになり、彼女と遠距離恋愛になるのが怖くなって、一本遅れの特急に飛び乗って鹿児島へ追いかけた。当時は新幹線もなく、特急列車で3時間半かけて鹿児島に着いたのはよかったが、携帯電話の充電も切れ、公衆電話から電話しようとしたときに彼女に肩をたたかれて再会し、まるでドラマみたいだなと思ったのをよく覚えている。
その日は彼女と鹿児島に泊まったが全く眠れず、一人暮らしのアパートに帰った時には、なぜか警察に追われていると思い込んでいた。今思うと既に統合失調症を発症していたのだろう、言動が変だった(らしい)為に友達が泊まり込みで話を聞いてくれ、家族に連絡を取ってくれて、3日後に医療保護入院することになる。
成育歴②~統合失調症発症で最初の入院(医療保護入院)
幻聴が激しくて夜も眠れない状態だった私は、最初は病状が悪くて保護室に入っており、薬も合わずによだれをだらだら流していた状態だった。今思うと急性期という時期だ。
しかし入院を今思い返してみても、悪い思い出ばかりではない。むしろいい思い出も多い。特に津野さんという二回り上の男性に話を聴いてもらい、たくさんの出会いがあった。このピササポートの原型みたいな経験が今の私に大きな影響を与えている。
薬の調整がうまくいき、3か月弱で退院する。
成育歴③~復学から卒業・就職~健常者として生きた時期
入院のために1年間復学した私は、1年後には復学して卒業論文を書きながら就職活動を開始し、無事に出版社に就職する。
色々あって1年半でやめ、ペースメーカーの営業の仕事、塾講師と1年単位で転職を繰り返す。今の自分に何ができるのかを探していた時期だ。辞めた理由は人間関係や業務のハードさなんだけど、病状で辞めることも多かった。
でも病院もちゃんと行っていて、薬も忘れずに飲んでいた。
この時期の大きなエピソードとしては、就職活動で出会った今の妻と結婚したことが一つ。
もう一つは無職期間に経験したWRAP研究会でのボランティアだ。
WRAPとはWellness(元気)、Recovery(回復)、Action(行動)、Plan(プラン)の頭文字を取ったもの。毎日を元気で豊かに生きること、さらに、気分を乱すような状況への気づきを高め、調子が悪くなったときに回復を促すプログラム。
詳しくは別に記事を作成するから気になる人は見てみてほしい。
ここで私は初めてリカバリーという言葉を聞き、ソーシャルワーカー(精神保健福祉士・PSW)や福祉の仕事の仕事に就くことを考え始める。
成育歴④~精神保健福祉士として働く
何を一生の仕事にしようかと迷っていた私は、WRAP研究会での経験で、精神保健福祉士に興味を持った。塾の講師の仕事を退職をきっかけに精神保健福祉士の資格取得のため、通信教育で学び始める。
途中妻の妊娠・出産もあり、派遣の仕事で働きながら無事資格を取得。働きながらの国家試験だったから正直一夜漬けだったのは内緒の話だ。
そして2度目の入院へ
精神保健福祉士として、新規で立ち上げる就労移行支援事業所で働き始めた私は、またも人間関係で揉めて退職する。
詳しくは迷惑がかかるから書かないが、管理者として時給1000円だったのは内緒の話。
指導でなく支援をやるんですよと代表に言ったら、指導ができない人が支援という言葉に逃げると言い返されて、こりゃだめだと思ったね。
ちょうど退職と前後して2番目の子どもがお腹にいることが分かり、その状態で無職になったもので、その状態に耐えられなくなってうつ状態になり、大量服薬して入院することになる。
その時には変に資格を持ってるから、任意入院だと出たいといえば退院できることを知っているから、診察で医療保護入院にしてくれと言ったら、医者がかなりびっくりしていたのを思い出す。
そんな状態だったから、離婚も覚悟していたんだけど、こんな時だから夫婦の覚悟が試されているだという妻の言葉にはすごく助けられた。
妻には感謝しても感謝し足りない。
長くなったので、私が本格的に精神保健福祉士として働いている現在までの自己紹介は別の記事にすることにする。